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直指ハングル版及び英訳書を発刊


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作成者 Jogye 日時21-01-29 18:28 再生112回 コメント0件

本文

- 世界初の金属活字本直指、韓国文化の優秀性を世界に知らせる。


1。大韓仏教曹渓宗(総務院長圓行)は、世界初の金属活字で印刷された「直指(ジッチ)」図書のハングル版及び英訳書を発刊した。2005年、宗団は初めて‘直指’の翻訳書を発刊しており、2020年には監修と再編集を通じ、完成度高い資料として再発刊した。

 

2。直指は白雲和尚(1298~1374)が編纂した本である。本来の名前は「白雲和尚抄録仏祖直指心体要節」であり、略して「直指、或いは直指心体要節」と呼ばれる。白雲和尚は、師匠である石屋和尚より受け継いだ「仏祖直指心体要節」の簡略な内容に、過去七仏、インドの二十八祖師、中国の一百十禅師の偈・頌・賛・歌・命・書・法語・問答などを加えて収録した。本は釈迦と祖師たちの禅の要諦に関する教えの中で、核心を抜き書きして収録した。従って、本は‘直指人心 見性成仏’の指針書であり、禅の教科書であると言われる。

 

3。直指が世界初の金属活字本として名を残したのは、白雲和尚が入寂した後、1377年、忠清北道清州(チュンチョンブクト・チョンジュ)の興徳寺で白雲和尚の弟子たちによるものである。直指の印刷術は、ドイツ・クーテンベルクの四十二行聖書より78年も早く製作され、わが民族の優秀な文化的・技術的な力量が込められた世界的な文化遺産であり、民族の誇りである。また、2001年にはユネスコ世界記録文化遺産に登録された。本来は上・下巻の2冊であり、しかし、現在は下巻1冊のみがフランス国立図書館に保管されている。

 

4。直指はフランス国立図書館の司書である韓国人、朴炳善(パク・ビョンソン)氏が図書館で発見し、1972年、世界図書博覧会の時、全世界に初公開された。 旧韓末(朝鮮末期)、初代駐韓フランス公使であったコラン・ド・プランシー氏が収集し、以後、競売を通じ、アンリ・ベベルーが1950年頃、フランス国立図書館に寄贈し、現在まで保管されている。

 

5。2027年になると、直指が印刷されてより650周年になる。宗団は直指のハングル版、英語版に続き、今年はフランス語版の発刊を通じ、禅仏教の核心や世界初の金属印刷術を持つ韓国の文化的な力量を世界に知らせる計画である。


添付。
白雲景閑和尚行状

 

白雲景閑(1298~1374)は全羅道の古阜で生まれた。幼い時出家し、師匠を決めず、全国の寺院に参った。以後中国に渡り、10余年間中国を周遊した。1351年(忠正王3)、景閑和尚は中国の霞霧山天湖庵に行き、臨済宗の巨匠石屋清珙和尚に会い、法を尋ねた。同年、誌公和尚に参り、偈頌を献上した。1352年、景閑は再び清珙に会い、朝晩に参問した結果、無心無念の真意を悟った。以後景閑は清珙と別れ、徳異和尚が住んだ休休岩に滞在し、1352年3月に帰国した。


1353年1月、慶閑は永嘉大師の「証道歌」の中、「妄想を捨てようとせず、真実を求めようとせず。無名の実性が正に仏性であり、幻化の空身が正に法身である。」という句節を接した。和尚はその言葉を深く考えた時、無心になり、悟りを開かれた。 何の考えも起らず、前と後が途絶え、何の拠り所もない、茫然たる境地に至ったのである。


1357年、景閑は普愚和尚の推挙で王に呼ばれた。しかし、彼は病を理由にして断った。1365年には羅翁和尚の推挙により再び恭愍王に呼ばれ、海州の神光寺の住職となった。1368年、王妃魯国公主の氏寺である開豊の興聖寺の住職となり、翌年には金浦の孤山庵で隠居した。しかし、再び羅翁和尚の推挙により1370年9月、羅翁が管理する功夫選の試官職に就いた。1374年、驪州の恵目山鷲巌寺で後学を指導していたところ、入滅した。


景閑の生涯を探ると、晩年の幾年を除いては王室との関係が見当たらない。それは普愚和尚や、羅翁和尚が王室と密接な関係を維持したのと比較される。景閑は無邪気で偽りがない、形を借りて名前を売らなかったため、真の境界で遊ぶ人であった。彼の著書としては、「白雲和尚画像語録」2巻と「仏祖直指心体要節」が伝わっている。フランス・パリで発見された彼の「仏祖直指心体要節」下巻は世界最古の金属活字本として有名である。 <以下省略>

 

<出典:曹渓宗史古中世編、大韓仏教曹渓宗教育院> 

 

 

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