<仏紀2566年夏案居結制法語>
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作成者 최고관리자 日時22-06-02 10:37 再生340回 コメント0件本文
昆盧頂上を歩け。
中峰性坡(大韓仏教曹渓宗宗正)
有相有求俱是妄。
無形無見墮偏枯。
堂堂密密何曾間。
一道寒光爍太虚。
相があり、求めがあれば、全てが妄りなことであり、
無形と無見は偏った所見に落ちることである。
堂々と密密なのに、如何隙間があるのか。
寒い一筋の光が大空に輝く。
夏安居を決制する諸方の大衆よ!
有に執し、無に執する全てが私見を成すことであり、有無に落ちなければ一味で全てが常に顕れるだろう。
正しい法と正しくない法があり、一つは常であり、一つは断である。
断と常が違い、しかし、病気になるのは同じである。
拳を伸ばすと手のひらになり、浮雲が散ると青空になる。
諸方の修行者たちが山門出入りを控え、夏安居を決制することは古仏が進めた仏道である。大衆が集まって結界し、和合して精進することは、仏種が途切れないようにすることであり、清浄僧伽を守ることである。それ故に諸天が歓喜し、護法神将が賛嘆し、信心を持つ檀越が真心を尽くすことなので、この縁を通じ、大事なことを解決すべきである。
公案を悟るため一念で努力し、精進する時、全ての結縛が明らかになり、解決される兆しを経験するだろう。
切り立った崖で木の枝を握っているなら、その人はけなげな人ではない。切り立った崖から手を放した時、初めて益荒男になると言える。世の中の全ての善し悪しと憎愛を下ろし、ひたすら公案を悟るため専念する時、忽然と本来の具足した知恵と徳相が顕れるだろう。
諸君よ!もつれた糸巻きを解こうとするのか。
無念智の一刀で切り取るのが簡単な方法である。
終日忙忙那事無妨。
不求解脱不楽天堂。
但能一念帰無念。
高歩昆盧頂上行。
一日中忙しくても、何事でも邪魔にはならない。
解脱を求めず、天国を楽しまない。
但し、一念を無念へ帰ると、
高く昆盧頂上を歩くだろう。