ゴムの履き物も白で運動靴も白である
鶏龍山無上寺の冬安居解制の現場

3ヶ月間閉まっていた禅房の閂が開いた。冬安居の解制を三日後に控えた2月25日、鶏龍山の無上寺を訪れた。海外布教の先駆者である崇山(スンサン)和尚の外国人弟子たちが暮らしているお寺である。外国人修行者の教科安居の時たまに訪れた。結制であれ解制であれ山寺の風光は変わらない。昨日鳴いていた鳥が今日も泣く。喉が乾いたり気苦労するのはいつも心である。雨が降った。心に降っている雨は体を濡らすことはできないが、痛いのはもっと痛い。
2000年3月創建された無上寺は、同年夏安居から衲子を受け入れた。今年の冬安居には11人の僧侶が榜附を入れた。70人近くの在家仏者たちが一緒に精進するという点が異彩だ。アメリカとドイツ、ロシアからベラルーシとリトアニア、スロバキアまで。人種市場を思い浮かべるほど多様な国籍である。崇山和尚と直接対面したかあるいはまたぎきして崇山和尚から感銘を受けて、遠い異国の韓国まで出家した人々である。入寂して6年も経っているが、相変らずせんけんたる和尚の威光を実感した。
安居中の日常は他の禅院と似ている。坐禅と行禅の繰り返し。各自の任務を決めた龍象榜も書いて掲げている。たが、成道斎日には徹夜をする。国際禅院という特性にふさわしく英語の法話が目立つ。何より英語を始め、中国語、ロシア語で翻訳した公案集を備えておいたのが著しい違いである。いわゆる「公案インタビュー」と呼ばれる法擧揚も活発である。禅問答を取り交わしている途中、突然泣いたり怒る人を慰めたり褒めたてる形である。心理治療と似ている。修行者たちは祖室和尚とのインタビューを通じて、胸の中に包み隠していた鬱憤と悲哀を吐き出して煩悩を洗う。
無上寺の大峰師(祖室)と大真師(住職)は一番古参なのだ。アメリカのフィラデルフィア出身で同郷である。それぞれコネティカットのトリニティ大学とボストン大学を卒業した人才ということも、全世界を回りながら恩師の教えを説破したことも同じである。大峰師は1977年に、大真師は1979年に崇山和尚と出会った。「狂ったということは何であり、狂ってないことは何なのか」「万一あなたが何かに執着するとたくさん狂ったことであり、ちょっとだけ執着するとすればそれは少し狂っているのだ。そして、何にも執着しなければあなたは狂ってないのだ。」大峰師は「この一言で、数年間心理学を勉強しても解決できなかった難題を解決した」と言った。崇山和尚の教旨は、「ただ分からないだけ」に集約される。「考えは苦痛を作り出す。雑多な考えなんかゴミ箱に捨ててしまえ。貪欲と怒り、愚かさを手放した本来の心に戻ってきて再び始めろ。」ただ分からないから 「ただやるだけなのだ」「どのようにして現在この瞬間に衆生の眠りを覚まして、この世を助けるかに沒入せよ」
結制と解制の意味について問いかけると、「お腹が空くと食べるし、眠くなると寝る」との大峰師の返答。いくら別味だってしきりに食べると飽きてしまう。耳が痛いほど聞いていやになるくらいの禅語に甘ったるい「チップ」が載せられる。「そして、お腹がすいている者には食べ物を与えて、苦しんでいる者には実質的な助けを与える。」大峰師は1992年師匠から伝法偈を受けた。悟りを認めてもらったのだ。認可の背景と内幕に関する「政治的な」質問は一刀に切り捨てた。「ゴムのはき物も白で運動靴も白だ。」1997年やはり指導法師の資格を取得した大真師が解釈を手伝った。「ゴムのはき物であれ運動靴であれどれほど足をよく保護するかは、機能と役割に意味があることで、色は重要ではない。」本質は実存によって現われるという結論なのだ。悟るとよく生きるというのではない。よく生きることが悟ることである。